tiwtterが辛いと思う5つのきっかけ

実は今年でtwitter4年目(2007年春開始)と言うことで、サイト4年限界説がちらついてるんですが何でだろうと最近の空気をふまえつらつらと。

1.ちょっと油断すると、「新学年5月」の孤立状態に陥る
2.ニュースのデマ発生率が昔に比べて多くなった
3.連携サービスの増加で、日本のspamが多くなった
4.興味外のRTなど見たくもないポストがTLに流れてくる
5.親しい人が変貌して付き合いにくくなった

で、共通すると「何かに裏切られた」という感情が生まれたときに辛いと思うんですよね。
それがニュースポストだったり、TLそのものだったりフォロワーだったり、いろいろ対象は違えど、裏切られたと思った時、しかも、簡単にリムーブできない時に辛い、止めようかと感じるのでは無いかと。

なんか最近萎えてきたなあ…と思うとき

2や3、4なんかは特に最近の流れで台頭してきた萎えるクラスタ(w。
刺激的な記事だと、「え!本当なの!」とついRTしたが、実はデマだったとなると萎えますよね。
人数が多くなると、同時にニュースを見る人が沢山いて、正に伝言ゲームで色んなルートで情報が伝達するわけです。その流れで思い込みが発動すると情報がゆがむのは社会心理学でも良くある話です。デマでなくても、いつの間にか情報に歪みが起きたりってのはもっとあるはずです。

一方去年や今年にかけて楽天・アマゾンなどの商業サイトと連携サービスが多くなり、それを利用したアフィリアカウントががっと多くなりました。
中には個性ある魅力的なアカウント(個人的には@yahoo_shoppingとか)もありますが、多くはスクリプトで作っただけやろ、な杓子定規なアカウントで、もう新しくフォロワー増やしたくないわと萎える要素になります。

そして、twitterを大きく変えたと言えるRT(Retweet)。個人的にはいい!と言えるpostをTLのみんなに見せてあげたいという普通に純粋な使い方をしてますが、「面白い流れを見せたい」とか「この記事に対するコメントを全員に見せたい」とか思ったよりも広義な使われ方をされています。
ところが、問題がありまして、これはリアルだろうとほかのサービスだろうと言えるのですが、内輪だから面白いと感覚の麻痺した外に通じない物を「自分のTLでみんな楽しんでいるから!」と無自覚に投げられると、内輪受け好きと萎えられる場合があります。

そして、萎えが蓄積されると段々、twitterが信頼できなくなり、距離を置きたくなるわけです。
信頼のダウンは、萎えの蓄積からくるんだよね。

TLは時間を裏切らないが、時間はTLを裏切るときがある

対して1とか5というのは、「始めた頃は結構頻繁に@くれたのに、急に冷たくなった」経験とか、「twitterで友人が壊れてしまった」とか、入学したときは仲良かったのにGW明けたらなぜか距離が開いてしまっって気軽に話せなくなったという、時間が関係を変えてしまった系の話。

twitterに関して良く言われることに「ゆるい繋がり」ってうたい文句があるんですが、それは関係性ギチギチのmixi等のSNSに比べての比較論で、決して絶対的に「縁なんかそんなにない、一期一会だ」と言ってるわけじゃない。
その辺を少し勘違いしてる人がtwitter絶対主義のように「嫌になったらリムーブすればいいじゃない」と言ってますが、そんなにシンプルにできたら苦労しない。リムーブはストレスが溜まったときの垢落としなんだけど、簡単に切るような人間は…と思う人も割といるわけで。

コレは個人的事例ですが、リムーブを決断するときって初めと今と人格が変わっちまったなあ、おかしくなったなあ、と距離を置く!と時間を少しおいてから実行する場合が多いです。
つまり、時の流れがTLやfollowerを変えてしまうということが結構頻発してきた、それも段々加速しつつある、と。

それだけ、twitterが認知されてるというということでもあるんですが、ぼちぼち「ゆるい繋がり」の言葉の意味を再考する時期に来てると思います。