もう「ネットで繋がる」ってのは幻想かも知れない

ということで、微妙にブログ名を変更しての、こんばんはです。
放置しすぎだと思う方もいましょうが、もともとここの更新はこれくらいがデフォでしてw
というか、何度かいってますが「引用したい!」というインスピレーション(twitterだと「RTしたい!」になるんですかねぇ)がないとこの日記動きません。
逆に言えば、140字のRetweetですまされない時に起動するのがこの日記の前提だったりします。

というわけで本題。

例えば、海外ドラマなんかだと、そういうネタの入れ方が上手だったりする。
専門用語でもいいし、ありがちな状況、というのでもいい。
わかりやすく言えば、簡単な「あるあるネタ」を、ちょろちょろっと入れればよいのだ。
ちょっとした台詞1つ、ちょっとした仕草1つで、上手い小ネタを入れれば
Twitterユーザーを味方に付けることができただろう。
(中略)

こんなことは、仮に脚本家が、Twitterについて勉強不足であっても
誰かブレーンが付けば、簡単にできることのように思う。
問題は、そういう意識がプロとして足りないのでは? と思うことだ。

Twitterの面白さや、その世界をパッと理解するのは難しいだろうから
ドラマの脚本の依頼があってからでは間に合わないかもしれない。
だけど、そういう意識が大切なんじゃないかと思う。

Twitterに限らず、わざわざ、ファンがいるところ
それが生活の一部になっている人がいるもの、を借りてくるのだから
ある種の礼儀とか、挨拶、マナーみたいなものと言ってもいいかもしれない。
emo blog「素直になれなくて」2010/04/16
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2010_04_post_495.html

うん、これ大事だ。大事。
逆も(ネット→他業界)しかりなんですけど、案外コレに気づいてない業者さん多いw

閑話休題。なんか久しぶりなので文章が書けない。

そういえば、おいらも一年半くらい見てませんね、ドラマ。
多分、ここんとこのドラマとかの低落ってこの「素材を借りることに対する礼儀」の欠落がスタッフ・キャストともにあるんじゃないかと思うんですよね。
ひどいのになると「作品のキャラや世界観に酔っぱらってる」学芸会状態の作品も…
(特に漫画原作物のやつが…)
原因を追っていくと、借りてるのじゃなくて「盗んで自分の個性にすり替える」演技をしてる駄目なひと(キャストだけじゃなく演出・脚本とかの意味で)が結構いて、これでメシを食おうとするとこにある気がしないようなするような。
それを更に追うと、「借りる」レベルになるほどの自分が育成されてない、そんな未成熟な人材の問題に帰納したり。

ブレインの不在をこの書き手さんは指摘していますが、ブレインという名の圧力業者がいるのかなと思ってみたり。
当て書きで話を書くということは、「そのネタを話に当てろ」というブレインがいるわけで(笑)
作品よりもそのネタが大事。てかネタに縋って儲けたい、という時代なんでしょうか。

その昔、ナタデココがブームになったとき
ナタデココが入ったカレー」というのを食べたことがある。

それは......ただの、ナタデココが入ったカレーだった。
emo blog「素直になれなくて」2010/04/16
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2010_04_post_495.html

ナタデココを入れただけでは、ナタデココを売りに商売することは出来ないのに、それをわかってないひとのいかに多いことか。

流行という蜘蛛の糸に縋っても、自分が救われるとは限らないという話です。
まあ、ドラマ界だけの話じゃないんですけどね。