Web日記の居所

たとえばこんなネタ。

ときどき、かなり昔からではあるのだけれど、日記で、それまでの経緯を追っていないと、あるいは追っていても、ごく少数にしかわからないあいまいな省略のある文章を読むことがあって、しかもそういうあいまいで省略のある文章はけっこう感情的な齟齬にかかわることが多かったりして、ぼくはそういう文章にひどくいらだたせられてきた。そういう意味で、観念的な文章と、個人的な文章は、対極なようで、等しい。

ほんと、やめてほしい。そう思うことがたびたびある。


幻燈稗史 2003/7/22 暗示的な文章
http://d.hatena.ne.jp/jouno/20030722#1058873755

日記というものが基本的に個人的な文章であること、ネットというものが原則的に不特定多数に見られる可能性のあるものであることの矛盾からくる、よくある不快感の話。
個人的には、後者の特性を意識しながらうまく日記の内容をコントロールしていけば…とおもうけど、仲間が欲しくて日記を公開しているようなサイトにそれを要求するのは酷のような気がするし。私の場合、昔、誰かに「愚痴はネットで載せるものでない」との指摘を受けて以来、この辺の配慮はしているつもりだが、もしかして感情的な齟齬を起こしているような文章を書いてしまっている恐怖が常にある。
(ま、これは自分の自意識過剰の性格もあるんで一概には言えないんだけど)
そういう意味で、ネットの日記というのは、読者に誤読されるというリスクを負っているわけなんですがね。大体読者というのは、サイト管理人に対して予備知識なんて持っちゃいないんだから(持っていてもそれは相手の脳内で構成された妄想の権化に過ぎない)、誤解はされて当たり前、みたいな気持でいないと大変だと思います。
大体、そこまで読む側まで配慮できる管理人はそうはいないだろうし。しかし、最近はそういうのはかなり底上げされている気もするな。携帯メールの普及で文章うまい人増えているみたいだし。もう少しきっちり整備するべきなのかな…
でも、たまに整備されていないがために面白い文章もあって、扱いに困る…でも、実際こんな暗示的な日記書く人は、影で信用されない奴といわれてるんだろうな、と想像したり。


…ということをいちいち考えていたりします。