ということは、好きにやれってことか?

上でも思わず(コレがいつものパターンだからしょうがない)取り上げてしまう、いわば「ゆらゆら」管理人nagisan(永遠の28才)の師であるところの「模倣犯」の師匠であるところの、「刺身」さんところで漫画ネタ(しかもここ5年近く呼ばれてる気がする(←かなり電波気味)荒木飛呂彦ネタ)でオモロイこといっていたのでかいとく。

腰を落ち着けてヒロヒコ荒木先生についての作文を垂らしていきた
いのですけどまず俺が言いたいのは「定型無しでの作業」「フォー
マット無しでの作業」これが第一にあるわけです。
(略)
むしろこの「フォーマットどうこう」はあらゆる事象に言えません
かね。定型的な反応、定型的な行動、定型的な思考、これらは楽で
す。スイスイ行けます。それを紙とインクで絵を、というのに、と
いう感じです。
環境に不適応なヤツが適応せんと進化、みたいな感じで、手探りで模索、の状態は進化に必要なのではと思うのですよ。んで対極なのがさっきの定型とかの整った穏やかな環境、と言ってます。

フォーマット無し、てのは「自ら好き好んで自分を穏やかな環境か
ら追い出す」という行為なのでは?と。
刺身 2004/1/19 19:00
http://rawfish.at.infoseek.co.jp/txt/index.txt

コレに関してはちょっと異論がありまして、ちょうど荒木センセも砂男に言わせているじゃないですか。
「敵から身を守るには「敵」の文化を良く知らなくちゃあならないって考え方もあるんだ」
…闇雲に行動してもまったく駄目駄目な話で、フォーマットを壊すにはそのフォーマットを良く知り倒しておかないと、壊し所も判らないわけでしてね。まず、フォーマットを認識しておかないとそのフォーマットもなくしようがないんですよ。例えば、300年前のアラブ人にサリンの作り方教えても「なんすか??エーテルの親戚か??食えるのか??」となるのがオチで、殺人兵器のフォーマット(この場合は化学式とか機械の使い方とか)に300年かかるでしょう。荒木センセの場合は、たぶん3部(条太郎のスタンド編)でやっとフォーマット無しの領域に達したんじゃないかと分析してます。
…というか最近は分析するのも飽きてきたので、たぶんイチゴの日はそう遠くないと思います。なんとなくですが。
(かなり電波ゆんゆんな状態なんでスルー奨励)