意味を感じた時点でそのジャンルは終わりを告げる

実はここだけの話、最近更新が本当に面倒くさいんですよ。ちょっと前に言っていた義務感が強くなってきて「おや、ついに撤退の時期が来たかな」とうすら思っていた矢先のこの文。

それにしても、一昔前は無法地帯だった『インターネットの世界』がどんどん規制されてきますな。確か最近のニュースであったけど、サーバー会社(プロバイダーだっけ?)は半年間分の加盟会員のメールを保存し、警察からの依頼でデータを閲覧させることが法制化されそうだとか。
もしもあなたが、半年前に誰かとケンカして『この野郎、ブッ殺してやる!』などと書いてたとし、その後その相手が変死したりしたら、メールの記録であなたが疑われる可能性があるのです。(そんなメール書かないか)そこまで行かなくてもメールデータからあなたと彼の接点は当局に捉まれるわけだ。
爆裂オッサンララバイ 2004/3/4 『無意味系サイト規制法』
http://www.h3.dion.ne.jp/~wakachan/sub8.html

思えば無意味で混沌とした時のジャンルのモノの方が「世間」に認められてからのモノより面白くかつ刺激的なのは、古今東西よくありがちな話でして。なぜ、ジャンルとなってしまった後のモノが面白さに欠けるかと言うと、大衆に受け入れられるために洗練を重ねた結果、混沌の時代にあったヤバさやキツさがなくなって本来の味を失ったスカスカのカスに成り下がってしまうからであると思う。ヤバさやキツさを受け入れられない人間にそのジャンルを真に楽しむ資格はない(本日毒気5割増)
確かに、大衆に近づけるようにすっきりする努力そのものは嫌いじゃないけど、そのラインが「媚びる」所まで来たらその人はブームの仕掛け人としてすでに死んでいる事でしょう。スカスカさがいい例も有るけど、それはもともとスカスカなのが本来の変な飾り気のない自分であった、それだけのことだ。
ということで(いや「それを含めて」か)、なんかちょっとテキストサイトに背を向けたくなる今日この頃…なんだかな、最近ちょっと情報というものに対して、ソドム的退廃を感じるんだよね。流したら流された相手が耐えられない、あるいは読む側がトラウマを起こす情報を無覚悟に流していることのヤバさに麻痺しているという現状に出家したい気分。これは前半の文と矛盾しているかもしれないけど、全員が全員楽しめる(あるいは嫌悪する)ものなんてないということを考えると実は筋が通っているのが私の主張。