男はなぜイカれた女が好きなのか?

(川本真琴に関して)
というか、この人を見ると思うのは、自分のキチガイ女好きといいますか、そういうのを思い知らされるというか。まーキチガイということばを見事に分化させないで使っているわけですが、狂気っていえばいい?よくなったよねえ。あーでも間違いなく嫌いな種類のキチガイってのもいて、そのへんの分化もされてないので困りモノです。好きと嫌いが紙一重ってのともちょっと違う。
そのへん、不幸な女は好きだが、不幸そうにしてる女は嫌いで、それとは別に幸薄そうな女も好きじゃないという微妙なアレとも似てるわけだが、おれの中の不幸の定義のあいまいさ、および、一般的な意味との乖離もあって、ほとんど説明不可能なせかいなので、このへんでお開き。不幸を細分化してノンリニアに、好きと嫌いが混ざってる感じ。ね。紙一重とは違うでしょ。
日記ちょう 2004/4/3
http://d.hatena.ne.jp/strange/20040403

綾波レイ以降うすうす感じていた「無感情で、けなげな少女信仰=ウザイ(俺の中で「純粋病少女」と同じくらいこいつらは罪深い)」という公式が、ついに「Deep Love」あたりをもって私の中で定説化してしまった2004年春。そういえば川本真琴はぎりぎり許せるなーとおもっていたんですが、よく考えてみたら彼女の場合別に「キチガイ」であることに意識過剰になっていなかった(というか「なもんカンケーないもんね」みたいないい意味での居直りがあったというか)のが突き抜けてて「参った」と思わせたのかねー。とふと思う。と、同時に「ズルイなあ」的嫉妬も生まれてしまって、人の目をうかがいながら生きている人間にはすこしウザイんだけど。ただし、この意見って、ある意味「畏敬」の領域に入っているような気もしますがね。
やはり、自分に正直すぎるやつが最終的に勝ち組なんだろうか?