電車男に関するファンタジー

電車男マーケティング」――フィクションを流行らせて既成事実化する巧妙な戦略
@絵文禄ことのは
http://kotonoha.main.jp/2005/06/04densha-otoko.html

どちらかというと「フィクション説」をとっている立場でこの人はムーブメントの分析を行っているわけなんですが、そもそも読者は電車男の一連のログをネタと思いたいのか実際に起きた事と信じたいのかそんなには思っていない気がするんですよね。
映画はまだ未見なのでたいしたことは言えないのですが、正直なところ新鮮な純愛ドラマがネットの世界から生まれたぞ位の認識で現在のメディアミックスは動いていると思います。多分、仕掛け側としては「世界の中心で愛を叫ぶ」「今度、会いに行きます」系のリリカル純愛を意識していると見て間違いないでしょう。
それと、ネット内で生まれる「全く知らない相手なのに関わっているような」奇妙な連帯感(ときどき2ちゃんねるはこの手の友情神話を生み出している)がリミックスされて書籍化の道を歩んだのだと思います。しかし、この友情パワーを画面で演出できる人はいないと思うし、あっても内輪受けどまりに終わってしまうから中々取り込みづらいわけです。やってみたい人は多そうなんだけどね。今のところログの書籍化が精一杯なんだと思います。
だから、売り込みたいメディアのイメージとしては「不器用な男女が純愛を成授させる物語」にならざるを得ないわけなんですよ。いい具合に負け犬路線という女性にも受けそうなマーケティング・ターゲットがあるわけで、その辺採算は取れるはずだと思います。
そんな女性中心のメディアミックスが進んで、取り残されたのが、本来の主人公であるはずのオタクたち。彼らはある意味「電車男」というファンタジーに裏切られたわけで、かえってヒステリックな反動(「電波男」はその最先端だ)を起こして「アレはネタだ信じるな」と2ちゃんねるのあちこちでアジテーションしています。
実際に「○○はこうじゃない」「△△はひどすぎる」の意見もあり、メディアミックスが進めば進むほど、当初のログの姿から離れて、別物の「電車男」が制作されてしまう…現在はこの辺りなんだろうと思います。

一連の経緯をマーケティングと呼ぶのは簡単ですが、実際、釣り上げるのは困難だと思います。あとブログ本が売れないのは、多分、余りにもライブ性が強くて書籍化するまでに古くなってしまうテキストが多いのと、いわゆる編集をする人がいないというところにある気がします。というか、ブログ本って欲しいか?