DAIKONが文化の領域…なら「オタク」は?

はてなDAICON巡り@ex
http://d.hatena.ne.jp/aniota/20050714/p1

ドラマ版「電車男」のOPがDAIKONフィルムのコピーフェイクだということで、ちょっと話題になっているようです。この時点でフジ(あるいは製作者側)の、視聴ターゲットとしてのオタク定義の見本が「アキバ系を表面取りした、80年代オタクテイストマインド」ということが見えてきます。DAIKONに関しては90年代にエヴァブームの際に(社会的には)発掘され認知された(と思い込んでいる)ため、共通認識としての「オタク」を引き込もうと企んでいたのでしょうね。だからあんな「愛情のない」OPが出来てしまったじゃないかと思うのですが。
しかし、実際は「オタク」というのはもっとややこしいものでして。「虚構の産物」を「現実の物」と同等に愛情を注ぎ込むことを除けばたくさんのタイプがいるものです。
元来持っていた「大人の概念」というものを社会的概念レベルでなく生物的概念レベルまで成長を止めよう(つまり現実の女性に興味がもてない)と試行錯誤しているタイプ、シニカルに現実も虚構も距離感をおいて、「殺伐に毀誉褒貶する」ことによってコミュニケーションを図るタイプ(多分流行りのモヒカン族はこのタイプ)、社会的能力があると「虚構を生み出すこと」を生粋の職業にしてしまうタイプ(例・ガイナックスなど)などたくさんいます。
問題は、虚構を排出しているはずのマスコミがその最大の立役者ということを忘れていて、単純にカテゴリー化してしまうところにあるんだけどね。それ言い出すと「本当にオタクを定義できる」人間がいまだ存在しない以上どうしょうもないです。