繋がりのカタチ

現状の「テキストサイト」をいくつか読むと、同様のテキストサイトへの感想文(一般的には「言及」と呼ばれているようだが)というのも少なく無い。自分の書いたものへの反応というものは、例えそれがどのような評価だったとしても歓迎すべきものだ。そこから論争へと発展したりもする。脳が刺激を求めているのだろう、初めからそれを狙って煽ったりする文書も多い。
トキストサイテ 2003/6/26 テキスト「サイト」論
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/6255/008.html

最近テキストサイト論でいい味出しているところからの引用。
(ソース・遥かな道しるべ(http://www28.cds.ne.jp/~cattail/))
要するに、構ってくれるというのは良かれ悪かれ、人間にとっては歓迎すべき事態なのだということ。最近のウェブログやBlogなんかも、そんな「できれば構って欲しい、本音を聞いて欲しい」みたいな人間誰しもある自意識が期待させてるのかもしんない。そこまで、ネットの繋がりが欲しくなるのはなぜなんでしょうか。いや、「繋がり」ならなんでもいいのか、というべきか。
でも、別の文章の「コワイインターネット」は正直恐かった。麻薬性は十分堪能しているからだ。今日の接続時間10時間(いまだ継続中)。やべー。
トキストサイテ
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/6255/