残虐のための残虐

冨樫は「レベルE」の昔からこうした生理的嫌悪感に直接訴えかけてくるような描写をたくさんしているのだけれど、残虐のための残虐、スプラッタのためのスプラッタという描写はほとんどない。

今回も残虐描写を繰り返すことで、蟲たちが話し合いの余地のない敵であることを表現しているわけだし、捕まったら逃亡不可能である極限の戦闘というルールの提出にも一役買っている。もちろん残虐描写をしてみたい、という創作精神の要請があってのことなのだろうけど、それを作品の完成度に昇華させてしまう辺りがやはり凄い、と。

ピンクダークの少年 2003/10/20 HANTER×HANTER近況
http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20031020#1066644303

週刊少年ジャンプ冨樫義博「HANTER×HANTER」の話なんですが、あらゆるものの記号化(あるいはマニュアル化)が進んだ結果、「どうしたら他人に自分の持っているドロドロした狂気や悪意、負の感情を伝えることができるか」みたいな病気にこの人もなっちゃったみたいですね。
(いや、幽遊白書のころからの傾向か、この人は)
それだけ、追い詰めるだけの要素を敵(=人間)は持っているんだぞ、という人間の根源的な悪意を描写するのは、いまの流行みたいになってますね。(そういえば、和月伸宏武装錬金」もそういうのやってたな)小説とかもそういうグロ・デカダンスにいっているしな。
それだけ、80年代的「明るさ」という概念が形骸化し、虚しいものになっているわけなんですが‥というか、快・不快の境界すら訳がわからないな。こりゃ。