イノセント

今日は代休もらってこんな時間に書いてます。

山田花子根本敬大槻ケンヂが大好きだったそうだ。しかも彼らは確信犯的にあの作風というか芸風をやっているしたたか者なのに、花子嬢はあれが彼らの本質そのものだと思っていたらしい。花子嬢は自分が自分そのものしか表現できないから、他人がそうじゃないという発想がなかった。「人間の醜さ、汚さ、いやらしさなどをはっきり描ける根本さんや丸尾さんのような作家を尊敬して」いたという。
(中略)
  日本の音楽業界では若い女が確信犯として、戦略として「傷」や「障害」のようなものを利用するのが大流行だ(しかも必ず美人というのが相当アヤシイと私は思っている。吉本の山田花子みたいな人が歌ってたら信用するけどさ)。山田花子はそうでなかったんだなあ。
花猫がゆく 2002/12/23 
「隠蔽された障害〜マンガ家・山田花子と非言語性LD」 石川元岩波書店

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/8447/shohyo4.htm

昔「自殺直前日記」「消えたマンガ家」なんかで山田花子の話は知っていたんだけど、彼女の最大の不幸は「どうしても自分しか理解できなかった」ところにありますね。しかも、その自分の醜い、汚いところを、他人を傷を付けるほど描くのがめちゃくちゃ上手かったのが皮肉なんですがね。この本ほしかったんだけど、在庫切れかあ。
でも。ちょっと嫌なのは、その「自分しか理解できない」という病を免罪符にしたがる似非山田花子信者(花猫氏はそうじゃないと思うが)の存在。最近トラウマ・鬱を戦略として売りにする傾向があるのも、そんなエゴと病気の区別もつかないガキ相手に商売が成り立つという、摩訶不思議な方程式があるからである。
そんな穢れたイノセント信者に、当の教祖が傷ついてしまうこともあったりするので、個人的にこういう売り方は好きじゃないなあと思うのである。特に素材が真のイノセントであった場合。
‥華原朋‥
いや、多くを述べるのはやめておこう。