ゴスロリとリスカの交差点

例の少女がゴスロリ趣味だったということで、ゴスロリ業界(?)が宮崎勉事件のオタク業界のような圧力がかかりそうな気配のする今日この頃ですが、もちろん大多数のお嬢さん(?)は楽しく自作したり、お店を回ったりしているわけでして。でも、そういえば、リスカリストカッター)⇒ゴスロリの公式はあるようですね。
まずは、ゴスロリってのを定義しましょうか。

ひらひら、ギャザー、縦ロール、レースといった、少女らしさ、或いは人形のような愛らしさを強調したアイテムを使いながら、彼女たちは町に対して攻撃的で、見る者にはケンカを売っているかのような強暴さをかもし出している。
それはなぜか。

それは、彼女たちにとって、ゴスロリは武器であり、私たちに対する武装だからだ。
ゴシック・ロリータという、可愛さを強調するはずのアイテムを用いながら、見る者を恐怖に陥れるという、それがゴスロリの際立った特徴なのだ。
それは、それらの、可愛さを強調するアイテムの使い方がどこか歪んでいたり、正常でなく、非常に屈折した回路を経て現れて来ているからだろう。
Test Page 200?/8/21 ゴシックロリータについて
http://www.m-n-j.com/town/entertainment/isako/k018.htm#何だか

基本的説明はキーワードから見てもらったほうがいいのでここでは、彼女達にとって「ゴスロリ」がどれだけのアイデンティティ表現となっているかを説明しましょうか。基本的に彼女達がなぜゴスロリという世界に魅了されるかというと、結局のところ自分の透明さ(コレは酒鬼薔薇的感覚のそれ)を補完し、しかも女性の可憐さを強調してくれる「負の幻想世界」を提供してくれるからである。(源流はボンテージ的デカダンス、X−JAPAN、マリスミゼル、メイド、コスプレ…なんでもいいけど戸川純は入れるべき)
さらにこの格好は威嚇の意味を兼ね備えており、繊細である(と少なくとも自分は思っている)自分を防御し、気高く見せる機能を持ち合わせている。
(たんにかっこいいーでやっている人もいるが、それは傍目から印象ということで)
そこで、リスカである。
よく言われる話ですが、「リスカをする人に死ぬ人なし」という迷信があります。実際にはたまに死ぬ人もいますが、大抵は血を見るのが好きな人のストレス解消手段か、周囲の人を(意識的にしろ無意識的にしろ)振り回すための、命には別状のない行為だったりする。ま、本人達もそれがいけないというのはうすうすわかっているけど、いずれにしても自己中心的行為といわれてもしょうがないでしょう。
リスカなひとにとってゴスロリは、そんな「可憐で繊細で気高くて恐い」お嬢様、アンチ・プリンセスを演出してくれる最大のツールなのである。それによって、リスカという神に反する自傷行為を弁護してくれると信じているのかもしれない。
多分、無意識の領域だと思うけど、昔の自分とかを振り返るとそんな気がする。
今の私は「それこそ乙女の祈りじゃん」と年寄り視点になっているが…