結局感情はネットに反映される

たとえば誰かが「こんなことがあった」とサイトで報告する。けしてシリアスなものではなく軽い感じで主観を前提に書いたものだとしても、それに反応して誰かが「怒り」とともに自分のブログに書いたりする。そこにまた別人のコメントがついて、誤記や事実を確認しない曖昧な情報が含まれるとする。すると、その情報も前の情報とコミになって怒りの感情をともなって流布したりすることがあるのだ。これが確認されないまま雪ダルマのようにふくれると誤解や曖昧さを増幅し、あたかも事実の束のように流通しかねない。ほんとにつまらないことで多くの人がまきこまれたりする。こういうときに冷静な人はすぐに反応をおこさないので、当面は「あまり冷静でない人」たちが状況を転がしていきかねないのである。
夏目房之介の「で?」2005/7/7 Mixiで新連載
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003569.html#more

すべての文章は何らかの個人的バイヤスが入っていると言う、ある意味残酷なことを書いているんだけど、と同時にそのバイヤスがさらに拡散することによって共同幻想な空間を作り「世論」を形成するというネットの落とし穴を突いた文章である。
よく、ネットwatchで標的になりやすい人と言うのは概して、つながることで生じるその負のスパイラルを理解せず、ただ単にネットで繋がっている事の快楽におぼれてしまっていると言うむなしさがある。と、同時に文章からにじみ出る感情にかんしても鈍感な方が多いように感じられる。書きなぐることによって仲間が増えると言う寂しい個人の希望にすがってるようにも感じられる。
しかも実際の接触から感じる五感の感に頼れない分、このネットでつながることで生じる自己中毒に近い自己愛スパイラルはだんだんひどくなっていくのが常である。現に標的にされた人の多くが、2chの中傷から学ぶことをせず、被害者の役割をかぶりつづけている。
なぜこんなに中傷されるのか、自分の中で分析しようとする発想が抜け落ちているのである。watchしている人の多くは、当事者の文章から来る共感性のなさや行動の痛さに半ばあきれ、半ば面白がって見ている。なぜ、悪いようにみてしまうのか、2chを責める前に冷静に見つめなおす必要があるのではないか。

まあ、これで更正できるようなら初めからヲチされないんだけど。