オタクの線引き

アニメオタクはアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。
http://anond.hatelabo.jp/20081118225445

これ自体は、岡田斗司夫が「オタクはすでに死んでいる」で言ったこととほぼ同じなんだけど、この増田は肝心のゼロ世代の「だめさ」をうまく説明し切れてない。これは岡田さん自身ですら違和感の正体を把握できていない、何か。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

で、ツリーにこんなのが。

俺はアニメオタクじゃないけど、押井の本に

「『押井さんみたいにとんがった作品を作りたいんです!』と来る若者がいるが、そういう人には『サザエさんの制作現場に行きなさい』というようにしています。ああおいう現場でとんがった感性を無くさずに立派な『サザエさん』が作れたら、そのときにおいでという感じで」

みたいなことを読んだことがあります。

増田が例に挙げた作品は“いわゆる”オタクが口にする作品であって、国民的といわれるような作品とアニメオタクの関係に重要なキーワードもあるんじゃないかと。
http://anond.hatelabo.jp/20081119221405

この言葉の意味はおいらとしては「「自分の訴えたいイメージ・物語」を「万人に受け入れられてるありふれた題材」で表現できるかどうか?」と読む。
実際、第一線で動いてるアニメ監督たちはその課題をクリアし、今日も新しい作品の制作や準備をしている。

おいらの世代(30代クラス)でみんなが知ってるアニメ監督というのはいるだろうか。

あ、新海誠がいた。
あの人の「1人ですべて作ってしまう」スタイルは20代クラスに結構影響を与えてるようだけど。でも、割とぎりぎりかもしれん。

ニコニコ動画でいわゆるテンプレート化された萌えアニメをただみて「楽しいな〜」と思う層がある。これは件の増田も批判の対象にしてる。
しかもニコニコは双方向だから、こっちのつぶやきを投げあって消費を楽しんでいる。ただ、それだけ。作った人の苦労なんか理解してない。
個人の妄想で作り上げたキャラ像をふくらませて、夢の世界を築いて閉じこもってる。

一方で岡田さんが賞賛しそうな「世代を超えた何かを構築しよう」意欲を持った人は、わりオタク業界とは距離を置いてITの世界に行っちゃってる。
アニメや漫画に比べて敷居が低い状態で創造・構築ができるからだ。
で、オタク的部分は副業というか趣味としてやっていたりする。
Pixivとか行くと既成の漫画家やイラストレーター顔負けにうまい作品が宝の山のように埋まっている。でも、これらの宝物は大抵狭い世界に閉じこもってしまい、多くの人の目に触れることはめったにない。
オタク消費者の多くもこの辺だったりする。

まあ、どっちにしても「アニメとか漫画の物語をもって世代や枠を超えた何かを構築しよう」という欲望に欠けてるわけ。基本的に。

どっちにしても、よほど出版社側がアンテナを張ってない限り、優秀なオタククリエイターを発掘することは難しい。そして、見つけても、現存の宮崎駿押井守クラスまでの力を発揮できるのかどうか。

おいらはハルヒとからき☆すたとかコードギアスとか、知識としては知ってるけど、ちょろっと見ただけで「もういいや」って気分になる。なんつーか、時間拘束してまでみたいもんじゃないなって。
一瞬、初音ミクで久しぶりに突破できるのがくるか?とおもったけど、紅白にも出ることなくロングテール的に人気が落ち着いてるし。

とにかく、枠を突破した何かを作ってほしいんですよ。古い世代オタクとしては。
手垢のついた言葉でいうところのみんなが「どきどきわくわく」するなにか。
それが出ないまま、ある一定の枠でまとまっちゃってるのがいらだってるのじゃないかと。

やっぱなんかよくわからない文章になっちゃってるな。すまん。