言わない方がいいかなと思ってたけど、やっぱり言っておこう

コンテンツコンテンツ言い過ぎてコンテンツがゲシュタルト崩壊してくるんだけれども。
http://anond.hatelabo.jp/20081120092042

糸柳氏の荻野記事を後からゆっくり読んで「ボランティア運動の失敗例の検証」みたいな観点で考えてみようと思った矢先に、tak_f氏の部外者の偽善的なコメントがきて、pha氏はおそらくはその違和感に関する反論「荻野氏は糸柳氏の描いているイメージ以上にかなり扱いづらい人間だった」としてかいたのはわかる。「コンテンツとして面白かった」って、”おまい協力者の一部じゃなかったん?なにその劇場見た後の感想文発言みたいなメタ発言”って、コンテンツってそういう意味で使うの?とおいらの脳が混乱したのはブクマの通り。荻野氏のややこしさを理解させる以前にそっちに目がいった時点で言い訳としては失敗してるんだよね。それだけ。
「楽しかった」という感情自体を「荻野氏をおもちゃにしてないか」とか入ってる人と居るけど、ボランティア自体そういう妙な脳内物質を生み出してる状態だから、その発言は野次馬以上の意味をなさない。たまたまこの例では失敗してしまった、だから結果論的にそう見えるわけ。多分、関わった本人たちもうまく回答出せないと思う。
結局tmura氏の日記が普通の人が把握するのにわかりやすい事件の全貌なんだと思う。糸柳氏もかなり癖があるというか荻野氏寄りの人間だから、なんか私小説的テイストがあって妙なバイヤスがかかってる気がする。私小説って太宰治とか夏目漱石とかそういうだめ人間記路線なやつ。まあ、面白いことに変わりないんだけどね。

この一連の件で一番おいらが不快に思う意見は「そんな危険人物手出さずにスルーすればよかったじゃん」な傍観者発言。いいかえると手を出した人間達の行動に対する批判。やらない善よりやる偽善よりは、やっちまったあとでしゃしゃりでる偽善が一番たちが悪い。昔2chの大規模オフではじき出した外人さん自転車探し2chオフとかうまくいった例もあるわけで、「お祭り気分もあるけど、ほんのちっぽけな善意」を気持ち悪いとか言う資格のあるひとって傍観者カテゴリの人の中にいるのかと問いたい。

ただ、この一件で寂しいと思ったのは、一連の人々のネットワークで専門家かもしくはそれを専門に勉強している人につながることがなかったってこと。これには個人的に思うところもあるけど、ここの日記の枠を超える話となるのでパス。

結論:糸柳氏の猫はかわいいですね。

11/21 13:00 トラックバック見て「純文学」→「私小説」に変更。
たしかに「蹴りたい背中」とかと同格にすると問題だわな。トラックバック先の「純文学」観がよーわからんが、どちらかというと「私小説」のほうがしっくりくるし。