日記の由来とか独り言

えと、そもそもなんでネットのテキストを拾い食い*1するようになったかと言うと、ネットサーフィンとかやってると、

「あ、こっちの人の日記の文章の方が今の自分の気持ちを語ってる!!」
「このひとのコラムの意見に同意!!」
「それはちょっと違うだろう」

と思わず突っ込みたくなる瞬間があるんです。
自分のパソコンがいつ壊れるかわからないから、どこかのサーバーでも借りて日記でも書こうかな…と思ってるところにはてなを発見。
イイ!と思ったのがリンクとか引用とかが簡単な独自機能で使えること。コメント機能とかリファラとかに関して??な私も、コレはいける!と思った次第で。リンク元が自動的にカウントされるのも、反応がすぐにわかって、巡回の手掛かりになって便利だし。
で、「引用文でつっこむ」で思い出したのが、「淑女の雑誌から」の一言コメント。
なんじゃそりゃ、と思う方の為に説明するとおじさんの愛読誌のひとつ、週刊文春の唯一のエロページ(しかも1ページ)で、女性誌のエロ記事を引用した上で、

   ―花より男根。
 週刊文春 2003/4/17 
「コスチュームプレイ」(パステティーン2月号)のコメント

と、とてつもなくおやじな一言コメントをすらっと毎週残していく、不思議なコーナーがあるんです。日頃から、このコメント担当の気持ちになってみたい私としては、ここがチャンスだ!と思ったわけです。でも、よく考えたら余所で同じ事やってるのでやめたんですけどね。
当初は、自分の持ってるサイトが形を持ってきてしまい毒が吐けなくなったのを補完するつもりでココ立ち上げたんですけど、どうも、リンク元が見えるスタイルのせいか、「普通の毒吐き日記をやっていてはお客さんがこなくなる」と変なサービス精神持っちゃってあんまり書かなくなりました。
いや、あのリンク元参照URLというのは、実際やってみるとある意味プレッシャーになります。解析は自分から見なくてはわからないけど、これは、編集作業している限り、即座に見えちゃうわけなんだから、恐いっす。特に同じはてなからのリンクだとありがちなんだけど、リンク先で自分の文が引用・言及されてるのって正直心臓壊れそうです。ホントに。自分、本当に自意識過剰な人間なんで、神経すり減らしますよ。
なぜ、自サイトで言及するかと言うと、コメントや掲示板では伝えきれないことが絶対あると思うからで。できれば、そういう言及をする背景を、引用される文以外の自サイトの内容から、わかってくれると嬉しいな…という一種の甘えなんですけど。

これは個人的意見なんですが、日本語は議論するには向いてない言語だと思う。どちらかというと形容詞が動詞並に発達しているのは、感情表現をするためにある、と古今和歌集見るたび思うんですが。
(この辺脳内理論なので、無視奨励)

またこのへんは、変更するかもしれないです。

*1:当初は「ネットゆらゆら拾い食い日記」というタイトルで立ち上げてました。(〜2004年くらいまで)「拾い食い」ってのはその名残です。ちなみに鈴木みそのアジアでアレなタイトルより先ですw(2009/2/6追記)