新聞小説という罠

創作も出来ないバカがいうのもなんだが、柳美里の「8月の果て」連載中止騒動に関して本人のコメントを見つけたので毒ついてみる。

ひとつだけいえることは、「8月の果て」はわたしにとって非常に大切な作品だということです。
もちろん、作家にとって、自分の作品はどれも我が子のように大切なのだけれど、この作品は、言葉を発することができず(拷問され、陵辱され、生き埋めにされて)殺された、その存在さえも認められていない死者たちの声に耳を澄まし、その声を(聴こえるままに)書き留めた作品なので、死者たちの名に賭けて、このまま流産させるわけにはいかないのです。
名づけえぬものに触れて 2004/3/17 骨
http://www.yu-miri.com/mt/archives/000011.html

なんとなくこの人の弱点というものが垣間見られるところを引っ張ってみたつもりなんだけど。確かに自分の「持っている」物語の愛着、素材への愛(なにをもって「愛」といわれると困るけど)とソレを吐き出す熱意に関しては作家としての基準をはるかに上回っているし、だから壊滅気味の文学界で生き残ることが出来たのは評価するけど、時々このひと(様々な意味で)選択ミスをしちゃう嫌いがあるなあ‥と本読んでて思うわけよ。
今回の騒動にしても、そんな壮大なネタを定期的にアベレージを保たなくてはならない「フルマラソン」タイプの新聞小説の題材に置いた時点で彼女のミス(彼女のそれまでの創作活動を見てる限り、どっちかというと短距離走系の「ためてがっと花火を打ち上げる」作風なのは見てとれる)は明らかであるし、この点で責められるのはもう覚悟しなければならない気がする。個人的にどうして彼女に不向きっぽい新聞小説に手を出したのが凄く疑問で、この日記見てもその疑問はふくらむばかりです。
…と、ここまで書いてて「ジャンプで壊れた漫画家」という構図が見えてきた。いまどきなあ‥な気分。