本当にblogはインターネットの敷居を下げたのか

プロとアマチュアの境界線ってインターネットの効果でますます分かりにくくなっている気がする。下手な雑誌の焼肉特集よりこっちのほうが面白いし参考になるもの。インターネットの特長は誰でも情報発信できることなんだけど、blog以前は技術的なことをある程度おぼえないといけなかったので誰でもというわけにはいかなかった。でもblogでほとんど誰でもできるようになった。
livedoor 社長日記 4/6(水) ぱっぷHOUSEへ初潜入
http://blog.livedoor.jp/takapon_ceo/archives/18237073.html

別にホリエモンにたてつこうとか言うわけじゃないけど、この手の議論は昔から、テキストサイトとか様々な分野で論議されてきた課題である。確かにとても役に立つサイトというのも個人発信だからこそ可能なんだろうが、多くの情報は私には関係の無いごみの情報だ。(もちろん自らのサイトも含めての自嘲もある)
となると、個人ニュースサイトというものが俄然と引き立っているわけなのだが、現在のところblogの引用率というのはそんなに高くない。つまり言いたいのは、そこまでblogを過信していいのかという個人的な疑問が湧いてくるわけである。
確かにblogはインターネットの敷居を大幅に低くした功績は大きいと思う。手打ちの頃のあのわずわしさから逃れることが出来たのだから。しかし、そこから本当に有用な情報を得る力というのも同時に養っていかないと、今のフジの騒動じゃないけどゆがめられた情報に振り回されるのが落ちであるという危惧を覚えなくてはいけないのである。
個人のコンテンツが力を増している以上、その個人の才能を掘り出せる人間の価値が重要視される。お互いに個人の欲するコンテンツが細分化されているこのご時世、それに耐えうるサイトがあるか疑問だ。
その辺テキストサイトが流行っていた頃(侍魂の絶頂期あたりか)のリードミーやその周辺のサイト紹介ページは個人的に役に立った。個人の馴れ合いならともかく大多数の人間を振り向かせるには、何らかのナビゲーターがいないと路頭に迷ってしまうのがオチだ。
はたしてライフドアにその眼力をもった社員がいるかどうかが、メディア戦略をやっていく上で必要なんじゃないのでしょうか。