趣旨が変わると寂しいものを感じる

私が『し○もん日記』を面白く読んでいたのは、飼い主の犬に対する愛情や感情が読みたかったからで、犬が話しているのが読みたかったわけではないのだ。飼い主が「し○もんは猫が嫌いで……」と書くのと、犬が「ボクは猫が嫌いなんだ」と書くのでは全く違うのである。

地球儀の螺旋 2005/8/29 し○もん日記
http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20050829/p2

補足しておくと、この問題の日記の場合は諸事情で別の人に犬を預けて書き手(いわゆる中の人)まで変わった結果、「飼い主視点」から「犬視点」の日記に変貌してしまったところに悲劇がある。
もともとの書き手のファンだった人がこういうのを見ると当然このような結果になるわけで。
たぶん、書き手達はその日記の向こう側の人のことは考えず、いろんな個人的事情で変更したのだと思う。実はこれほど極端な例はないけど、書き手の環境変化によって日記の内容が変化し、もとからのファンが離れていく例ってのは多いと思う。
ネットって基本的には趣味でやるものだから、飽きたり忙しくなると更新が減ったり、簡単に閉鎖ってのも珍しくない。これがプロでやってる人との違いなんだと思う。プロならやってること自体に責任を持つし、向こう側のファンの感情を考えて行動しますからね。意識しろととはさすがにいえないけど、こういうのって難しいところありますね。

インターネットで日記を公開するということの切なさを感じさせた話でした。