パクリ、パクリいう前に一呼吸

ブラックジャックによろしく」に当サイトの文章が?
@サイコドクターぶらり旅
http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20050901#p01

まずは上のサイトを見てから。コメント欄の凄まじさも頭に入れて。
精神医学というテーマ上、ちょっとサイコ気味になってるのが、個人的には楽しい、楽しい。
暇があれば、「ブラックジャックによろしく」を立ち読みしてもいいかもしれない。現在、「精神科医編」やってます。
たぶん、この作品の調べ物が多いと思うのでたくさんの資料が出ていると思うんですよ。
そして、そのなかで風野さんの文章が「統合失調症」を説明する上でクリアな文章だったため採用されたのだと推測します。しかし、ネットは匿名なんで確認の手続きはとらなかった、と。
この辺はネットが署名形式で公開されてない(大抵の人はHNで書いている)問題もあり、成り行きを見守っていきたいと思います。

それよりも、問題はパクリ、パクリと言う人々。
最近、何かというと「○○のパクリだ」と訴える人が急増してるんだよね。
確かにコピー技術が発達し、気軽に表現をパクれる時代になってきた。中にはすべてが過去の作品の完全劣化コピーという酷いものも出ている。
しかし、だ。

自分の好きなものがパクられたときや、自分の好きなものを何かのパクリだと指摘されたときに、何で人は怒り出してしまうのだろうか。自分の作品をパクられたときに怒り出すのは当たり前としても、なぜ好きなものがそれほどまでに独自性を保たなきゃならないのか。

絶叫機械+絶望中止 2005/9/2 「ブラックジャックによろしく」にサイコドクターぶらり旅の文章が?の件。
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20050902#p1

「パクられたー!キー!」と思ってる人って、作品のすべてがすべてクリエーターの頭の中で形成されてると思っているんだろうね。そして、そのクリエーターが好きなものに殉じて、似たようなものが出ると、「彼の聖域を汚したー!キー!」と切れてしまう。
でも、実際は案外いろんなところから創作の引き出し作りのために他作品も見たり読んだりしてるわけで。最近は、やたらリアルが強調されるもんだから、整合性とかもあわせるために資料をたくさん読んだりもする(「ブラよろ」の講談社はこういうシステムが高度に整ってるらしいです。聞いた話だけど)。
意外と、純粋なオリジナルってのは難しいものなんだよね。薄皮一枚で誰にも理解されないつまらないものに成り下がるし。
こんな創作の事情を考えると簡単にパクリとか言えなくなるんだよね。


匿名で怒ることの不思議さを麻草さんは感じていたみたいだけど、この怒りは署名するほどで重要でないからこその「無知」から怒れるのだと思うのです。