私と「はてな」の出会い

id:reikonさんのお題においらも乗ってみるか。ということで今日は増田関係なしです。

始まりは「はてなアンテナ」から

もともと携帯サイトコンテンツ出身で、それを見かねた当時の彼にPCを買ってもらったのが2003年の頭。
携帯コンテンツ時代にも基本的なhtml記述は理解していたけど、PC管理になって一番困ったのがこれ。

「「お気に入り(ブックマーク)」を自分のPC以外にも利用できないか?」

なんでかというと、買ってもらう前にも近くの公民館で定期的に無料でPCを使わせてもらっていたので、ローカル以外でもお気に入りのサイトをチェックしたい。そんな気分があったわけです。というか、ローカルのブックマークが使いこなせなかったってのが実情なんですが。
その頃の大手サイトだった今は無き「ヘイ!ブルドッグ」(現在ではid:lovelovedogとして読書日記かいてますが)経由で「はてなアンテナ」の存在を知ったわけです。RSSって食えるの?とおもった時代の話です。あー、これでお気に入り管理できるわーって。
あれは当時のウェブサービスとしては画期的だったと思います。

はてなダイアリー」の魅力

当時おいらは、携帯更新ができるという理由で「cgiboy」の日記機能を使ってたので、個人ネタとしての日記(ブログ誕生直前か直後くらいなので概念を知らない)としては満足してたのですが、だいたいある程度の閲覧者が増えると裏日記がほしくなるんですよね。なんつーか、日記に書いてあることだけがおいらじゃないぞ、みたいな本音と建て前文化的な精神ストレスが。
と、同時に家でPCをつなぐようになってから、「ネットサーフィン」ってことを覚えて、いろんなサイトを趣味で眺めるようになりました。丁度、「侍魂」がネットネタ文化標準と認知されて、類似サイトがごろごろし始めた頃です。結局、残ったのは「ろじっくぱらだいす」だったというオチですが。
その際に、見る基準として大きかったのが前述の「ヘイブル」となんだっけ、有名なテキスト紹介サイトがもういっこあったんだけど名前失念。あと、「迎賓館裏口」か。ま、その辺を足がかりにしていろいろ覗いてました。
で、以外と困った問題が発生。

「インターネットの文は割とカンタンに消えてしまう」

今ではWEB魚拓だのWeb archiveだの消えたログをサルベージできるようになりましたが、結構、管理人が飽きたとかの理由で閉鎖時にログを消すことがあったんですよね。それも個人的日記でうまい文章を書くところほど。
で、テスト的にはてなダイアリーにログを貼り付けてメモ。今で言うところのtumblr的な使い方ですね。当時の立ち上げ動機にも似たような事かいてます。

なんで、はてなから消えたの?

まあ、同時に個人日記用にライブドアだのMovabletypeだのときにはアメーバとかmixiとかに書いてるので割とローペース・マイペースでこの日記を書いてたんですが、メインにしなかった理由に「モヒカン」という言葉に対する嫌悪感があります。
モヒカンってなによ?って方に「アメリカンネイティブ」じゃないほうのはてなキーワードを引用。例によって太字はおいらによるものです。

【Mohican】
一言で言えば「技術原理主義者」(モヒカン族グループのキーワード「モヒカン族」より)。

ネット世界の「原住民」であるが、その思想は極めて近代的。これはコンピュータ・インターネットに早くから触れた人たちに、ソクラテスの時代から続く合理主義などの近代的思想を持つ人たちが多かったことが原因として考えられる。(鶏が先か卵が先か、コンピュータやインターネットの仕様の多くは合理的にできている)

近年インターネットが一般層へ急速に普及し出したことにより、近代的思想を持たない一般人(モヒカン族曰く「ムラ社会」のひと)との間で文化衝突が起きている。
こういう人はモヒカン族

(注1:モヒカン族の中にも様々なタイプがあるため、モヒカン族はこれらの要素が全て当てはまる、ということはない)
(注2:一部誤解が含まれているかもしれないが、モヒカン族の思想に倣い、躊躇なく修正して欲しい)

* 会話中の言い間違いや相手の誤解は指摘するほうが良いと考える
* 一般人から「理系的」と呼ばれやすい

特に、Webに関する考え方では、以下のような思想を持つモヒカン族がいる。
* W3Cの勧告に正しく従うことが合理的であると考える
o 補注:これを強く主張する人たちは特に「W3C原理主義者」と呼ばれる。
* いわゆる「意味と見栄えの分離」を尊重する。
o 補注:これを強く主張する人たちは特に「CSS原理主義者」と呼ばれることがある。
* W3Cの勧告通りの表示をしないブラウザは非合理的だと考える
* いわゆる1バイト系カタカナ・2バイト系英数字・機種依存文字に疑問を持つ
* 「無断リンク禁止」という考えに疑問を持つ
* 「モヒカン族の解説はこちら」の「こちら」にリンクをつけるようなやり方に疑問を持つ
* 「教えて君」の態度に疑問を持つ

モヒカン族の思想

* 原則として発言者の社会的地位を考慮せず、意見の内容だけに注目する
* 馴れ合いよりはむしろ殺伐とした議論を求める
* 誤字脱字等の間違いはただ単に「間違い」と考え、他人の間違いは他意なく指摘し、自分の間違いは素直に認める

モヒカン宣言

1. どんな努力をしても絶対に覆せない事柄を根拠にするな。「差別」という外道に堕ちる。

宣言

1. 発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する*1
2. 事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない
3. 間違いは、きちんと認めて修正すればいい

モヒカン族5つの価値

校正
間違いを訂正してくれる人を我々は尊敬して評価します。よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません。
共有
アイディアに校正の機会を与えることが生みの親の義務です。「理由が無いけど、これはこれでいいんだ」というエレガントではない開き直りはくだらない。
ツッコミビリティ
校正、反論しやすいエレガントな言説が価値ある言説です。その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。
全体最適
たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つけた時、我々は最もハッピーになります。
差異
お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません。

ムラ社会とは

* 反モヒカン族が属しているコミュニティそのもの
* 反モヒカン族が信奉している「前世代の思想」は「ムラ社会文化」と表現する

ムラ社会の特徴

* 論理的に正しいかどうかよりも、周囲にいる仲間であるかどうかを優先して擁護する
* 個人の思考法の違いを抑圧することで均質化して連帯感を盲目的に持つ
* ただ単純に自分の周辺に存在しているというだけの無意味な条件だけで「仲間」と認識する
* 他人との関係を「嫌っている・好んでいる」という基準でしか判断しない
* 他人から単なる事務的な指摘や事実確認をされたときでも「自分のことを挑発しているのか? 嫌っているのか?」と受け取ってしまう
* 自分の趣味の対象に否定的な言葉をかけられると、何の趣味を持っているのかということとその人の評価は無関係なのに「そんな趣味を持っている人はダメだ」という風にバッシングされたと曲解して怒る

ムラ社会の例

* 手作業と苦労が感じられるほど評価する
* 既存の手作業処理をプログラムで効率化して一瞬で出来るようにしたら「そんな楽をしたらダメだ。心が入っていない」
* 修正書類を早々に翌日に持っていったから、誠意?が無いと言われた
* トラブルの根本的な原因に気が付いたので報告したら「その担当者に角が立つから……」と黙殺された
* 興味があるので色々と調べて考えて「もっとこうしたほうがいいのではないか」という意見を提出したら、なぜか「君は私に対する尊敬や誠意が無いね」と解釈された
* 「○○って映画を見たけど面白かったよぉ」「それって宣伝先行のクソ映画でしょ。しかもパクりだし」「ねぇ、どうして私にケチをつけるの?」「えっ? 映画にケチはつけたけど、君にケチはつけていないよ」「ひどい。バカにしているのね」

ムラ社会宣言

宣言

1. 発言者の社会的地位を考慮する。偉い人の失言は大目に見る
2. 内容の前に礼節を知るべし。敬語、修飾語が適切に使われていない文は見るに値しない
3. 間違いを指摘することはその人の人格を攻撃することである。また、真に誤りを犯した場合、どんな謝罪を行っても許されるものではない

ムラ社会5つの掟

校正
間違いを訂正する人は内心人格を攻撃しています。人として尊敬できることではありません。よけいな訂正は慎みましょう。
共有
あなたのものはあなたのもの。わたしのものはわたしのもの。人のものに口を出すのは恐ろしい人です。
マターリティティ
周囲の人を最大限配慮?し、理論よりも何となく心を打つのが価値ある言説です。その為には、過程やソースを表に出さず、優しい言葉のオブラートでくるんで示します。
最適化の放棄
例え非効率であっても、揉め事が起きない方法が一番ハッピーです。
差異
お互いの差異は努力で埋めることが出来ます。自分が良いと思ったことを積極的に人に対して行いましょう。
モヒカン族とは@はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E2%A5%D2%A5%AB%A5%F3%C2%B2?kid=119725

…「気持ち悪い…」。なんつーか、奇妙な選民意識と優越感がにじみ出るアレ。この言葉がはてなの世界を跋扈した頃から(丁度、病気悪化も繋がってるんだけど)距離を置き始めたわけっす。いわゆる「はてな村民」の気持ち悪さの根源ってここらへんじゃねぇの、って自己分析。当時、喜んで使ってた層に自己統括してほしいとすら思ってますよ。はい。
しばらくは、たまにぽつん、ぽつんとブックマークするくらいの距離感で付き合っていきます。

はてなブックマークリニューアルのころに

まあ、たまに 「twitter仲間探しの道しるべ」にはてなのtwitter部使うくらいのつきあいでのんびりやってた時に、ちと糸柳氏の日記から勃発した荻野くん関連話で「はてブネガコメ」ってものに巻き込まれてしまってしまったらしくてな。あの前後、変な現象起きて軽い(メンヘラにとっての「軽い」って普通の人の1.5割り増しですが)ノイローゼになってました。それまで、はてブが外から見てあー見えるとはわからなかったんですね。今思えば、最初っからブックマークプライベートにしちまえば、ここまではてなーの世界にどっぷりチェックってコトなかったのになあと反省してます。はい。
てか、すごくゴシップな世界になってたんだな。と、ネット引きこもり主義のおいらはびっくらこいてます。
idレベルで、個人情報が飛び交うってどうよ。twitterと連動すればすごいことになるよ、ほんま。

はてなの未来に興味はないけどさ。

はてなの未来とかってのは、ほかのひとにまかせるというかだいたい同じコト思ってるようなので、書いてもしょうがない。
しかし、はてなで自らをコンテンツ化するのに必死な層とは別に、昔ながらの専門分野の記事をまとめ上げたりする層ってのがいるんだよね。しかも、割と高年齢層に。どっちかつーと、個人的には後者の層を大事にしたいと思ってますね。あずまんこと東浩紀氏がはてなにいたのも「インテリジェンスのサロン的つきあい」を欲してたんじゃないかとおもうんだよね。絶望していなくなったけどさ。
自分のコンテンツ化なんて、消費されきったら、誰にも見られなくなるんでどうでもいいし、それをやるならどっちかつーとtwitterでやった方が効率がいいからそっちに専念しろと。
でも、たしかに「サロン的つきあい」を求めるなら今はtwitterなんだろうけど、高年齢層にtwitterって正直しんどい気がするんだよね。twitterの世界って超個人的主義的なところあるから、オーバーフローになってついていけないとおもう。なら、古きよきはてなダイアリーで一生終えてもらった方が幸せかもしれない。他の人力検索とかもおんなじ匂いがする。どんどん進化するだけが、ネットじゃない気がするんで、使い続けるユーザーに対するケアも考えてほしい気はします。