音楽界から阿久悠がいなくなったら(仮題)

ミクCDがオリコンランクインして、いろいろ盛り上がってますね。
で、この増田をきっかけにちと面白い話に。

■正直言うと
ミクに限らず、オタ向けの曲ってメロディも去ることながら歌詞が陳腐過ぎて嫌い。
一般人向けの流行りものも大抵は同じ理由で嫌い。あれで『詞がいい…』とか言ってる奴がいるのが気持ち悪い。ぶっちゃけ。

http://anond.hatelabo.jp/20090311170818

まあ、「オタ向けってそもそも子供向けだから単純で明快な歌詞になりがちだよなー」、と思ったら、音楽の歌詞に関する問題に発展してまして。

どっかに記事があったのかもしれんが、今のJ-popと呼ばれる奴は、昔々いた「歌詞を作る専門の人」が抜けた結果に出来た産物だったんじゃないのだっけか。

よく分からんけど、昔は歌詞にも歌詞コードみたいなのがあって、特定の歌詞・音韻のみが「歌いやすい」とか「分かりやすい」という理由で採用されてて、音楽業界全体でもそれが当たり前になってたんだけど、90年代初め?くらいに 小室ファミリーな感じのところから「わかりはじめた myRevolution」*1みたいな英語&日本語交じりの歌詞が流布し始めて、ついでに歌詞にするには拙すぎるようなものまで認められるようになって、結果多様性を持ったのがこれまでのJ-popだったんじゃないかと。

それ以前? ってのもよくわからんのだけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20090311171947

カラオケブームの影響もあるかと。
小室ファミリーの曲は意味が無いからどんな場でも歌えて便利だった。
変に意味が濃い歌詞だとカラオケで歌いにくいんだよね。気恥ずかしくて。
http://anond.hatelabo.jp/20090311172329

昔は音符1つに1文字だったのが、サザンオールスターズ(勝手にシンドバット)以降、音符1つに単語を乗っけるようになったという話を聞いたことがある。
http://anond.hatelabo.jp/20090311173024

まあ、打ち込み音楽(やっぱり小室哲也とかが一般化したような気がする)の発達が曲・ノリ優先の音楽方向に持って行ったのかなという私見はあるんですが、実はあんまり音に関して語る資格無いんで音に関しては任せたいところです。
それよりも、びっくらこいたのが「歌詞コードの存在」。
コードって音楽進行のルールかセオリーだよねー、くらいしか知らないおいらですが、歌詞の世界にもそんな物があるのかと。
まあ、歌謡曲→J-popの変化に歌詞の軽視化って関係ありそうですね。
そして、結構歌詞において「桑田佳祐」の位置は重要すぎるんじゃないかと。
現在のJ-popアーティストって割と自作歌詞で歌う人多いですが、その一番先駆けなんじゃないかと。
Wikipadiaでは「それまであった歌謡曲やロックなどのジャンルにとらわれない」とかいてあったけど、もしかしてJ-popのお父さんが桑田さんで、お母さん(音のほうが「お母さん」って感じするので)が小室さんじゃないかとそんな気がします。個人的に。

*1:渡辺美里「My Revolution」のサビの一節。作曲が小室哲哉だったりします。作詞は川村真澄