沈黙のカナリアはかく語りき

ちなみに、おいらは東海圏にすんでるのでサイキッカーじゃないです。あ、昨日のCBCラジオによる謝罪発言は聞いたよw

 一番確実なのは、「北野誠の商品価値を上げる」「数字で具体的に評価を出す」ように行動することじゃないかな。北野誠の書籍をamazonで買うとか、今年の学園祭に彼を呼ぶように今のうちから松竹芸能に交渉するとか。そうすることによって、「ああ、やっぱり北野誠にはまだまだ商品価値があるんだ。このまま潰してはいけない」という判断が経営者・取締役レベルで生まれる。すると、彼の味方にしても、復活させやすい状況がつくれる。

 番組がなくなったり、好きな人が苦境に立たされたりしたら、誰だって心が苦しい。でもそんなとき必要なのは励ましだったり応援であって、「誰が悪い?」という犯人捜しじゃないんだよね。
 
岡田斗司夫のゼネラルプロダクツ/元気な北野誠が見たい!
http://okada.otaden.jp/e31993.html

北野誠と、20数年付き合ってきて、おそらくはこのあとの20数年も同じように付き合っていくだろう僕。そんな僕なのに、なんとも抽象的な言い方しか出来ないけれど、今は無心で前を見つめる時だと思う。書き込みとかで、二人は喧嘩しているのではとの意見もあるけど、仲良くやってます。食事に行ったり、電話で話したり……。一番気になるのは、やっぱりリスナーのこと。心配かけっぱなしですいません。いつか二人の声が、届けられたら。何回も言いますが、この世に下ネタがある限り喋り続けたい、声がなくなるまで……。
竹内義和のどきどきブログ/声がなくなるまで……
http://takeuchi2.otaden.jp/e31854.html

を買ってから、下記の本を読むと納得できるよ!…こういうことですか、岡田さん、わかりません!
(ちなみにうちのブログは無料なので、おいらにお金は入りません。はてなさんがよろこぶだけっす)

てなわけで、北野誠さんの無期謹慎処分の件がネットの世界でおそろしいことになってますが、一番怖いのは「TVマスコミが「言えません」以上の報道ができない」話があるってことですよね。「言えない」と言えるがそれ以上は「自らの口で言うと自分が危険な身に晒される」という「暗黙の答え」があることを「ほめのかす」ということ。
つまり、TVというのは自由な言論の場じゃあり得ないというわけ。その気になればフェイクな記事で隠すこともできるのに、嘘を織り込めないというのが怖いですよね。
つまり、この事情は関係者的にも、本来ならば、まこっちゃんに肩組みしたいという暗黙の「圧力勢力にたいする批判」でもあるわけ。そうしなければならないほど、いまのマスメディアってのは権威的権力がなかったりします。多分、個人的感覚では、独立出版社系週刊誌>>夕刊紙>>(タレントの色んな意味での利権が絡むのでげふん、げふんの壁)>>日刊紙>>>>>>>TVくらいとおもっていただくといいんじゃないかと。
で、そんな恐ろしい「組織」ってなんやねん、ということで、ネットでの「犯人捜し」が横行し、噂が噂をよびそのうち本当に「都市伝説」になるわけです。(やや強引)
てか、都市伝説と怪談の境界は「本当にあるのかもしれないけど、おそろしい他者や組織に関わるから真実にできない、あるいはそうした方が…かも」にあると思いますね。怪談は「生理的恐怖」を与える話ですが都市伝説は「社会的恐怖」を与える点で少し違うと思います。
戦争のない現代、何が怖いかって、社会的制裁(肉体的・精神的どっちでも)を食らうことです。社会からはずれたらお金なくて生活できないもんね。

何が真実なのか、はおいらレベルでは決めうちできないですが、真実を追うならネット上の情報だけで決めうちしちゃ駄目だよ、ってこと。丁度別の都市伝説追っかけて見つけた言葉に凄い名言があります。
「ネットだけで真実を知るのは無理」
これは、ネットの言葉の真偽を吟味を自分の中にセットして慎重に情報に接しろという、ブロガー的自分の心得だったりします。その上で、乗っかった方がいいのかそうでないかの判断をする。それくらいじゃないと、特定の人々の妄言に引っかかるよ、と内向的な自分に対する戒めでもあります。